父の詫び状 [著書]
昭和53年の執筆というと、もう随分古い作品となるが人間の感情の
機微に新旧はない。筆者の幼い頃からの平凡な生活が短編にとり
まとめられている。そんな1節「車中の皆様」のほんの一編を紹介し
よう。”中年の運転手が話しかけてくる。「これから帰って何すんの」
「そうねえ、こういうとき男だったら行きつけのバーでいっぱいやって
帰るけど女は不便ねえ。シャワー浴びてビールでも飲んで寝るわ」
チラリと本心を洩らしながら帰り支度をはじめた。夜タクシーで帰る
ときはいつもそうするように左手にアパートの鍵、右手に五百円札を
握って「ご苦労様」と料金を渡す。運転手はカスレタ低い声でこう言
った。「いいのかね」「いいわよどうぞ」たかだか40円か50円のチッ
プである。念を押すほどの金額ではない。しかし運転手はもう一度念
を押すのである。「お客さん本当に真に受けていいのかね。」「大げ
さに言わないでよ」と笑いかけてハッとする。右手に500円札が残っ
ている。間違えてアパートの鍵を渡してしまったのである。”今はなき
筆者のそそっかしさが偲ばれて面白い。
2012-10-04 19:04
nice!(17)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0