8/6すずえ [訃報]


最後の砦だった叔母81歳がなくなった。

つい5日前に虫が知らせたようにランチ

の申し入れを電話し日程まで打合せた矢

先だったというのに。折しも台風13号接

近風雨の最中ではあるが笹子トンネルを

超えて弔問にかけつけた。応対する喪主

の愛娘は言う。ガンの転移が諸所にわた

り、ひと月前から自宅において覚悟の生

活でした。水際のときは一瞬肩で息をし

その後穏やかに息を引き取りました。時

節柄先行して2日後に焼き場にそして、

その翌日から葬儀に入るのだという。新

築間もない寝室定位置に横たわる亡骸の

表情は幾分小さくなったようだが穏やか

な風貌ではあった拝。



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2018-02-22 [訃報]

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それは、ほんのわずかな兆候から始まった。

寿命といえばそれまでだがあまりに厳しい

闘病生活4カ月を経て、また愛娘の献身的な

看病もむなしく2/28寒い朝病院でなくなった。

あんなに元気だったのにと惜しまれる。

人柄のいい、心優しく明るい人だった。大言

壮語はなく相手の気持ちを尊重する人だった。

我欲がなく周囲に惜しまず奉仕する方だった。

あんなに帰りたがった自宅にやっと帰れて

きた安堵からかその表情は穏やかで微笑んで

いるようでもある。



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一ノ瀬正規 [訃報]


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小倉さんとの関わりもあって長い間
親しくしたイッチヤンが亡くなった
という。菅原君からいつになく前置
の長い電話での訃報だった。春先の
コンペだったろうか、ガンの治療中
だと丸ボウズで、それでも元気なティー
ショットを披露していた。間も無くの
定年後は小峰庭苑で働く、とも
言ってくれた氏の優しい笑顔が目に
浮かぶ。12/25出張先の岡山から帰っ
た間際の御最後だったようだ。何の
苦労も告げずサッと逝ってしまった。
人生とはなんと儚いものか。

ミイコ [訃報]

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桜が見頃になった朝、ミイコが死んだ。

2三日前から歩行も困難な様子で時折悲痛な

声で泣いていた。老衰だろうか。ミイコは

もとはといえばノラだった。そのノラを義父

が面倒みていた都合上我が家に引き取った。

あれからもう5年になる。当初は他の猫との

折り合いが悪く、また、し尿処理など紀律を

守るようになるまでがひと苦労だったようだ。

晩年はベランダ付きの日当たりの良い場所で

思索に満ちた生涯だった。きっとお世話にな

りました、と感謝してることだろうと思う。


橋本君 [訃報]

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明けてまもなくの電話は同窓生橋本君の訃報だった。

物静かで目立たない存在ながらも毎年同窓会に出席

することが楽しみだったそうだ。ほとんどお話する

機会はなかったが氏の物静かな風貌が偲ばれる。原

口同窓会長の命により「セレモ柏ホール」に同窓生

を代表し参列した。奥様の言葉をここに一部抜粋ご

紹介し故人のご冥福をお祈りしたい。

「12/30日 夫は悠久の旅路につきました。曲がった

ことが嫌いで多くは語らず厳格で九州男児ならではの

風貌を纏い夫の男らしさは見る者の誇りでした。若き

頃より剣道を愛し段を重ねる腕前で仕事の合間にも切

磋琢磨に稽古へ励み身心を鍛え汗を流す夫の姿は尊い

ものでした。以下略」拝。


境内の赤松 [訃報]

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龍光寺境内には大きな赤松が対で聳えている。

いかにも歴史深い寺の厳粛さを醸し出すとともに

ここを訪れる幾多の人心を鎮めてきたのだろう。

お通夜に続いて告別式も天候に恵まれ滞りなく

進行した。棺に納まった故人は綺麗に着飾ってい

て、両サイドに納められた愛用品とともに花に埋も

れて荼毘に付された。法名を「静徳香顕信女」と申

し上げる。


お通夜 [訃報]

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9/18・龍光寺にて行われたお通夜は町内会の

方々等思いの外参列者も多く、また、通夜振舞

では長寿者の告別ともあって和やかな雰囲気での

懇談となった。サッチャンと仁君もお疲れの中、父

母に抱えられて故人の祭壇に向き合った。仁君

はモクギョウが大層気に入ったようで咎められな

がらもモクギョウを叩きご機嫌だった。

 


義母 [訃報]

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御神輿の規定ルートも終盤に
さしかかった頃に、危篤の報
を受け、その後まもなくの訃報に変わった。
享年90歳、入院中は自宅に帰りたがった

そうだが、ここにきて、やっと今願いがかなった。
義母の穏やかな表情は、眠るように
逝った最後の時をしのばせる。

お世話になりました。
あとはしっかりお見送りいたします。


八重子さん [訃報]

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もう駄目かもしれない、と連絡を受け病院に駆けつけたのは

昨日だった。翌朝には急変し82歳の生涯を閉じられた。あま

りにも突然であっけないご最後だった。振り返って思えば年始

のご挨拶位で、いつもご無沙汰ばかりだったが折に触れ家族

共々目をかけていただき気を配って下さった。毅然とされてい

たが心根の優しい方だった。キップの良いそしてお洒落な方で

もあった。昔良く登ったという山の話をしてくれ、「もう必要な

いから」と4本爪のアイゼンを頂いた。今となっては唯一遺品と

なってしまった。お通夜1日、告別式2日と悲しいご通知だった。


太田君 [訃報]

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 ・マテバシイ/剪定後

太田君が難病指定の筋肉の病気に陥り寝たきり

になってからもう5-6年になるだろうか。世の中に

は過酷な病があるものだ。五感はしっかり目覚め

ているのに筋肉が末端から次第に麻痺してきて、

ついには心臓の筋肉にも及ぶのだという。床ずれ

の痛みに悩まされながら自宅で長期間の療養生

活は辛かっただろう。先進医学の中においてさえ

手を拱き、なすすべもなく逝った太田君、どうか安

らかにお休みください。


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