8/6すずえ [訃報]
2018-02-22 [訃報]
一ノ瀬正規 [訃報]
小倉さんとの関わりもあって長い間
親しくしたイッチヤンが亡くなった
という。菅原君からいつになく前置
の長い電話での訃報だった。春先の
コンペだったろうか、ガンの治療中
だと丸ボウズで、それでも元気なティー
ショットを披露していた。間も無くの
定年後は小峰庭苑で働く、とも
言ってくれた氏の優しい笑顔が目に
浮かぶ。12/25出張先の岡山から帰っ
た間際の御最後だったようだ。何の
苦労も告げずサッと逝ってしまった。
人生とはなんと儚いものか。
ミイコ [訃報]
桜が見頃になった朝、ミイコが死んだ。
2三日前から歩行も困難な様子で時折悲痛な
声で泣いていた。老衰だろうか。ミイコは
もとはといえばノラだった。そのノラを義父
が面倒みていた都合上我が家に引き取った。
あれからもう5年になる。当初は他の猫との
折り合いが悪く、また、し尿処理など紀律を
守るようになるまでがひと苦労だったようだ。
晩年はベランダ付きの日当たりの良い場所で
思索に満ちた生涯だった。きっとお世話にな
りました、と感謝してることだろうと思う。
橋本君 [訃報]
明けてまもなくの電話は同窓生橋本君の訃報だった。
物静かで目立たない存在ながらも毎年同窓会に出席
することが楽しみだったそうだ。ほとんどお話する
機会はなかったが氏の物静かな風貌が偲ばれる。原
口同窓会長の命により「セレモ柏ホール」に同窓生
を代表し参列した。奥様の言葉をここに一部抜粋ご
紹介し故人のご冥福をお祈りしたい。
「12/30日 夫は悠久の旅路につきました。曲がった
ことが嫌いで多くは語らず厳格で九州男児ならではの
風貌を纏い夫の男らしさは見る者の誇りでした。若き
頃より剣道を愛し段を重ねる腕前で仕事の合間にも切
磋琢磨に稽古へ励み身心を鍛え汗を流す夫の姿は尊い
ものでした。以下略」拝。
境内の赤松 [訃報]
龍光寺境内には大きな赤松が対で聳えている。
いかにも歴史深い寺の厳粛さを醸し出すとともに
ここを訪れる幾多の人心を鎮めてきたのだろう。
お通夜に続いて告別式も天候に恵まれ滞りなく
進行した。棺に納まった故人は綺麗に着飾ってい
て、両サイドに納められた愛用品とともに花に埋も
れて荼毘に付された。法名を「静徳香顕信女」と申
し上げる。
お通夜 [訃報]
9/18・龍光寺にて行われたお通夜は町内会の
方々等思いの外参列者も多く、また、通夜振舞
では長寿者の告別ともあって和やかな雰囲気での
懇談となった。サッチャンと仁君もお疲れの中、父
母に抱えられて故人の祭壇に向き合った。仁君
はモクギョウが大層気に入ったようで咎められな
がらもモクギョウを叩きご機嫌だった。
義母 [訃報]
御神輿の規定ルートも終盤に
さしかかった頃に、危篤の報
を受け、その後まもなくの訃報に変わった。
享年90歳、入院中は自宅に帰りたがった
そうだが、ここにきて、やっと今願いがかなった。
義母の穏やかな表情は、眠るように
逝った最後の時をしのばせる。
お世話になりました。
あとはしっかりお見送りいたします。
八重子さん [訃報]
もう駄目かもしれない、と連絡を受け病院に駆けつけたのは
昨日だった。翌朝には急変し82歳の生涯を閉じられた。あま
りにも突然であっけないご最後だった。振り返って思えば年始
のご挨拶位で、いつもご無沙汰ばかりだったが折に触れ家族
共々目をかけていただき気を配って下さった。毅然とされてい
たが心根の優しい方だった。キップの良いそしてお洒落な方で
もあった。昔良く登ったという山の話をしてくれ、「もう必要な
いから」と4本爪のアイゼンを頂いた。今となっては唯一遺品と
なってしまった。お通夜1日、告別式2日と悲しいご通知だった。