資本主義の終焉と歴史の危機 [著書]
寝正月からすっかり怠け癖がつきゴロゴロ過ごす日
が増えた。買い置きの書、①資本主義の終焉と歴史
の危機/水野和人②新・戦争論/池上章・佐藤優③大
人の遊び/伊集院静を読む。寝ながらにして世界情勢
を憂うわけではないが、ウクライナの内戦、イスラム
国の台頭、それにフランスでの一連のテロと物騒な出
来事が続く正月ではある。
中国の大問題 [著書]
「中国よ日本をなめてはいけない」
世界一の貿易額をかさにきて中国が驕りを
見せはじめた。だがその内実は数々の難問
に直面している。拡大する都市と農村の格差、
国有企業の赤字体質、テロや暴動が耐えな
い民族問題、要人の汚職・・・・・・。病める中
国の姿を見つめた迫真のレポート
---カバー題字から抜粋----
囲碁小町7番勝負 [著書]
師匠は言う「今、勝を貪る手を打てば次には負けが
避けられず、いずれは碁の本道を見失う」。ひょんな
ことから自らの嫁入りを賭けた囲碁7番勝負が始ま
る。主人公囲碁小町、対局者7名を相手に息詰まる
熱戦が展開する。「忘我の境地、三昧の境地とは何
もかも忘れた虚空に浮かぶのではなく、表からは見
えない辛苦の礎石の上に築かれるのだろうか」呻く
主人公の手が伸びる。
シニアが輝く日本の未来 [著書]
人生50年」と信長が敦盛で吟じたのは有名な逸話だ。
当時は50年が長生きの目標だったのだろう。ところが
今では80年90年の時代を迎えている。しかし、ただ単
に長く生きればいいということではない。病気や障害が
なく、身体能力や認知機能を維持して健康で自立した生
涯でなくてはならない。良く働き、遊び、学び、積極的な
人的交流を図ることが大切なのだと書は言っている。
坐骨神経痛 [著書]
彼を知り己を知らば百戦危うからず」と説いたのは
孫子・謀攻だ。腰痛で苦戦していることを告げると
これを読めと横山氏が本を貸してくれた。氏は数年
前に著者の久野木先生の執刀で脊椎間狭窄の手
術を受けた、謂わば腰痛克服の先駆者だ。著書は
高齢化に伴い身体を支えている骨や間接、筋肉、靭
帯が衰えるため腰痛を訴える人は多く日頃の注意や
心がけが必要であること。そして腰痛に関わる多くの
メカニズムが理解でき考えさせることが多かった。
村上海賊の娘 [著書]
折しも大河ドラマ官兵衛の進行と一致する、信長と
毛利のせめぎあい。時は天正4年/1578年/西に勢
力を伸ばそうとする織田軍の大阪本願寺との戦いは
7年目を迎えていた。そこで本願寺、木津砦からの兵
糧を断つべく陣を敷いた織田方に対し海路から兵糧
運送を乞われた毛利は村上海賊の支援を得て難波の
海に繰り広げる大海戦。史実に基づく筆者/和田竜/独
特のタッチで書き上げた上下2巻にわたる痛快巨編だ
った。
老いてこそ人生 [著書]
文中抜粋/ 「肉体の老いとの戦いに必ず敗れていく
人間に与えられるものは気力をも含めて真の成熟など
有形無形計り知れぬほど多くのものがある。 」/
つまり、人はいずれ死んでしまうが老化との戦いの試み
こそが人生の味わいだと著者は言っている。 先日、
国会質疑に立つ氏は心なしか足腰も衰えてきたように思
えたが、華々しかったあの頃とは違い、82歳ともなれば、
それも相応の御姿なのかも知れない。
あんぽん [著書]
・あんぽん正義伝/佐野眞一
東大からカリフォルニア大学バークレー高の経済学部の
3年生に編入する。この頃の孫は商売人としてのセンスは
並はずれていたそうだ。バークレー在学時代自動翻訳機の
アイデアを提案したといわれるモーザー博士は彼のアイデ
アマンぶりに感心し妻にこう言ったという「私のラボに来て
いる青年はいつか日本を手中に収めるだろう」と。予想通り
孫は通信事業でも世界有数の企業人として君臨し 東日本
大震災の折には即座に私財100億円の義援金を出したこ
とは良く知られている。著書は在日3世としての生い立ちと
ルーツに迫るあまりに暗部に偏りすぎたきらいは免れない。
汗出せ知恵出せもっと働け [著書]
民間出身では初の中国大使をしかも、波乱の時に務めた
丹羽宇一朗氏、中国大使としての総括に触れる機会は未
だ無いがこれは企業人丹羽宇一朗としての著書。文中の
1節を紹介すると人の能力にはたいした差はないのだという。
あるのはいかに努力したか、野球に例えるなら基本練習を
疲れるまで倒れるまでやる。そして、疲れていても更に練習を
続ける。それを続けて疲れを超越するするとどうなるか、今度
は我を忘れる。それが「三味境」という境地だと言う。企業経営
のスゴウデが多角的に自説を披露した名書だった。
父の詫び状 [著書]
昭和53年の執筆というと、もう随分古い作品となるが人間の感情の
機微に新旧はない。筆者の幼い頃からの平凡な生活が短編にとり
まとめられている。そんな1節「車中の皆様」のほんの一編を紹介し
よう。”中年の運転手が話しかけてくる。「これから帰って何すんの」
「そうねえ、こういうとき男だったら行きつけのバーでいっぱいやって
帰るけど女は不便ねえ。シャワー浴びてビールでも飲んで寝るわ」
チラリと本心を洩らしながら帰り支度をはじめた。夜タクシーで帰る
ときはいつもそうするように左手にアパートの鍵、右手に五百円札を
握って「ご苦労様」と料金を渡す。運転手はカスレタ低い声でこう言
った。「いいのかね」「いいわよどうぞ」たかだか40円か50円のチッ
プである。念を押すほどの金額ではない。しかし運転手はもう一度念
を押すのである。「お客さん本当に真に受けていいのかね。」「大げ
さに言わないでよ」と笑いかけてハッとする。右手に500円札が残っ
ている。間違えてアパートの鍵を渡してしまったのである。”今はなき
筆者のそそっかしさが偲ばれて面白い。